0069 茂名見 英吾『サマー・ゲーム』を推す。感想とか。

 
   小説『サマー・ゲーム』 著者:茂名見 英吾(もなみ えいご)
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   『サマー・ゲーム』は私にとって、自分を見つめ直し、他人を理解しようとし、視野を広げるために必要だった作品だ。自分を形作る上で無くてはならなかった存在である。
 退屈、日々の停滞感、他人を理解できない時などに、いつもこの作品を思い出す。
 
 そんな自分にとって影響力が大きい作品を忘れてはいけない。ということで、インターネットの片隅に感想としてこの作品の痕跡を残しておく。
 明確なネタバレは無いが、多少内容にも触れる。
 内容に触れる為に、本誌の公式あらすじだけ記載しておく。


 小学六年生の夏生は、未来に失望した少年だった。夏休みが始まったある熱帯夜、コンビニでたむろしていた仲間とともにひとりの中年男をオヤジ狩りするが、ふとしたことからその中年男が余命数ヵ月であることを知り、死にゆくための想い出集めの旅に興味を持つ。


未来に失望した少年と余命数ヵ月の中年男

 少年と中年男の物語というだけでは興味を持つことはそうそう無いだろう。
 ただ中年男は余命数ヶ月であり、命が尽きる前に過去の思い出を集めている。ここに興味を惹かれる人は多いと思う。

 人はなかなか自分の人生について真剣に考えない。自分の死についても同様だ。
 だが、他人の人生や死は興味深いものだ。


 この物語は少年の視点で書かれている。名前は夏生(なつき)。
 夏生は小学6年生にしては人一倍ませていて、家庭環境や性格や体格など様々な要因から、将来にも現在にも自分自身にも友達にも何も興味が持て無くなった。
 同年代の他人が楽しそうにしてることに惹かれつつもそこには身を置かない、流されたくない、冷めて達観したような、そんな思春期の少年。
 最近では意味合いや使い方が変化してきているが、中二病と表現しても差し支えないだろう。
 そんな彼が未知の存在として興味が湧いたのが「死」だった。
 まだ若い夏生は死を間近で見ることも深く考える事も無かった。彼の中でひょんな事で出会った「中年のおっさん」は自分にとって数少ない興味対象である死への好奇心を満たすかもしれない存在へと変化していった。
 

 中年男の名前は袴田(はかまだ)。
 年齢は物語の中でもはっきりと記載されていないが45~55歳くらい。
 死を宣告されてからどういう生活をするかは人それぞれであると思う。袴田は余生を思い出集めに使っていた。
 袴田の性格、考え、想いなどは物語のメインと言っていい。
 夏生という観測者と一緒に読者も袴田の思い出集めに付き合う事で、彼がどういう人生を歩んできたかを断片的に知ることができる。


 他人の一生や人生というのはなかなか気軽に知れるものではない。
 『サマー・ゲーム』の物語は袴田や夏生が特別な存在であり、特別なストーリーが描かれているから面白いのではない。
 「人生とは本人が気がつかないだけで一人一人が全く別で興味深いものである」という事が分かるから面白いのだ。

 袴田と夏生が出会ったからストーリーが始まったのではなく、袴田は生まれてから現在までの物語をそろそろ終えようとしていて、夏生はこれからも物語が続いていくのだ。
 二人の物語が少し重なった部分がこの『サマー・ゲーム』なのである。


私がこの作品にハマったわけ

 誰しも推しの作品のひとつやふたつあるだろう。
 推しとなる作品、つまり大好きで、オススメしたく、忘れがたい作品にランクアップするには様々な要因がある。
 作品自体が素晴らしい事は当然として、読み手側がどういう人生を歩んできたかもハマる要因があるように思う。


 私がこの作品を手にとった理由は明確には覚えていない。
 だが読んだ後の感覚は覚えている。「この物語には答えが書かれていた」だった。

 なぜこんな感想だったのか。それは単純に私がこの本を手にした時、中学か高校だったかの学生時分、まさに主人公のような冷めた性格の達観野郎だったのだ。
 思考で違う部分はあれど、何をやっても面白くないし、やりたい事も無いし、この後の人生が何十年あるか分からないけど、特別な事なんて無くつまらない一生を終えるんだろうなと本気で思っていた。
 そんな無気力少年だった私がこの本に出会ってしまったら、それはもう食いつくに決まっている。
 幸い読みやすく、分かりやすく、長さも丁度良く、一気に読めて自分の人生に見事刻まれる作品となった。
 当時夏生と似たような思考だった私は端的に言ってしまうと思春期だった。夏生も端的に言っていしまうと思春期だ。
 反抗期の有る無しのように思春期にも様々ある。ただ、大抵めんどうなメンタルなのが思春期。
 夏生と私は思春期の感じがたまたま似ていたのである。

 夏生は最初は袴田の思い出集めに積極的ではなく、中年男の思い出なんかに興味は無かった。死が迫った人に興味があるだけだった。
 だが、徐々にこの思い出集めに何かを感じはじめていた。それはほとんど予感でしかなかったが確実に普段の生活には無い特別さだった。
 物語上では短い期間だったが夏生にとっては忘れられない夏だっただろう。


 一応念を押すと、私がハマった一因に主人公の夏生と似た思考だったのはその通り。
 だが、冷静になった大人な私が読んでも、この物語はしっかり面白く、情緒的で、考えさせられる小説だ。

 物語には様々な年齢層の登場人物が出てきて、年齢を重ねると言っている意味が深く理解できる言葉などもあり味わい深い。
 昔読んだ時は物語の視点である夏生側で共感していたが、大人になってから読むと袴田の気持ちや考えを推察する方が多い。
 袴田は私とタイプが違う人なので共感するところは少ない。ただ、彼は真に生きた人である感じがするのだ。実際に袴田のような人が私の身近に居てもおかしくない。
 私は自分語りをする方ではないし、他人の過去を根堀葉掘り聞く事も少ない。他人に興味が無いわけではないが、聞いていいタイミングが分からず深入りしない。

 実際には居ない、しかし居てもおかしくない中年男の人生を覗き見る事は実に興味深い体験だ。そして感じること、それは「誰しも過去があること」だ。
 それは当たり前な事なんだけど、忘れがちでもある。
 道ですれ違った誰かも人生を積み重ねて今そこに存在しているし、その人だけの歴史がある。
 それは現在を肯定することでは無いが、過去は軽視していいものでもない。
 人は経験の積み重ねで今があるからだ。
 袴田の人生は非凡・平凡、幸・不幸、様々な視点がある。
 私がこの作品で実に魅力的に感じるのが、大人な部分や幼い部分、綺麗にも歪んでも見える彼が実に人間らしく描かれている事だ。
 機会があれば是非一人の人間をモニタリングするつもりで登場人物と一緒に彼の人生を覗いてみて欲しい。

人それぞれの「きっかけ」と変化

 袴田はなぜ思い出集めをはじめたのか。それは当然自分の余命が分かってしまったからだ。死という絶対の終わりは彼の考えや行動を大きく変えた事だろう。
 死というきっかけで彼は変わった。

 多くの人もここまで明確でなくとも「死」を意識したことがあるのではないか。病気、健康、事故、人生の辛さ、身近な人の死など、意外とありふれているものだ。死が自身の変化の「きっかけ」となるかどうかも人次第なのだと思う。

 人はなにがしかの「きっかけ」をそれぞれ経験してきた。
 夏生は分かりやすく退屈な日々を破壊する「きっかけ」を欲していた。彼は死を身近に感じて変化するのだろうか。袴田や死が退屈な日々の変化の「きっかけ」となるのか。それは小説の根幹の部分なので読んで確かめて欲しい。

 「きっかけ」は人それぞれ。変化の有無や変化の仕方も多種多様。
 袴田と夏生は深く掘り下げられているが、他の少しだけ登場する人物の「きっかけ」も感じる事ができた。
 その点では物語として『サマー・ゲーム』は分かりやすく書かれている。
 普段感じることのない人の「きっかけ」を小説で体験することが出来た。
 自分の行動や発言、他人の考えや文章が「誰かのきっかけ」になるかもしれないと考えさせられる、「私のきっかけ」となった作品だ。


感想の最後に

 2000年に初版されたこの作品は、おそらくそんなに売れなかった。
 ここまで感想を書いて、推しておいて、申し訳ない話だが、この作品は入手困難間近だ。
 ネットで検索しても感想は出てこないし、絶版になってしまったのかAmazonでは中古しか出てこない。レビューは1件だけあった。
 もしかしたら中古すらも手に入れられなくなって、この作品を読める機会はなくなってしまうかもしれない。
 知名度も無い、手にも入りにくい。そんな作品であるが、少なくとも私が大好きな作品なのだ、私が感想を書かずに誰が書くというのだ。
 作者の茂名見さんには失礼かもしれないが、まさしくこの作品は袴田であり、たまたま私が夏生となったのかもしれない。
 そしてこの感想さえも、日の目を浴びずに埋もれていくものかもしれない。
 それでもいい。
 少なくとも私に多大な影響を与えた『サマー・ゲーム』は、生涯私を支え続けてくれる作品だ。

 もしこの作品を読んだ人と出会えたら、語り合ってみたいものだ。

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